昭和40年11月26日 朝の御理解



  この前の前の、月次祭だったでしょう。月次祭の数日前に、吉井の熊谷さんの所から「緑のパン」と云うのをお供えを頂いて、これはまあだ東京だけにしかないらしいんです。この大きな緑色してるんですね。何ですね、大きな( ? )作ってるらしいんです。それがもう非常に栄養になる。同時に美しくなると云うのが、そのパンの、云うならまあ看板なんですね。
 あちらの娘さんが東京の方へ行って居られますが、それをやっぱ日に一度は頂かれるらしいんです。ですからお母さんにも美しゅうなって頂きたいと云う事もあろうけれども、とに角強うなって頂きたいのでしょう、必ず送ってみえるんだそうです。ところがその実際正直な所余り美味しくないのです。頂いてみてそれを私の方に、この頃頂きましたけれども、私の方は必ず神様へお供えを致しますもんですから。
 ちょうど月次祭から月次祭までお供えしとった、所がカビが生えて来とる。とてもカチカチなってしまっとるですね。それでその先日勝手の方へ。ちょうどおやつの皆んな頂きよる時間に、そしたらそれを切ってから焼いて頂きよるんです。頂いてみましたけれど、これは嘘にでも、美味しいとは言えないパンなんです。所がですね今申します様に、それを食べたら美しくなると云う様に、それを食べたら美しくなると特別に栄養剤が入ってるか何か知らんけれども、とにかく強くなるという。
 それが書いてありますもんですから、まあもちろん捨てるには、もったいないと云うのでどうかして毎日それを少しづつ切ってから頂いとるわけなんです。あれがどうでしょうかね、いくらお供えであってもお下がりであっても、もしその美しくなるとか栄養になるとかと云う様な事が書いてなかったら、そしたら一切れがこの位が五十円ぐらい当たるそうですもん。書いてあるそうです。
 それでまあこりゃあ捨てられん、五十円もするなら、これは一本二百五十円がつもあると云う訳なんです。その値段が高いと云う事も、ひとつの勿体ないと云う事になったんでしょうね。そういう値打のあるもんだと、云う事が分かったもんですから、まあ口には美味しくないけれども、それを頂いて居る、なんでも矢張り値打を知ると、それを頂かなければおられない。
 それが愈々是を食べたら美しゅうなる。是を食べたら健康になると書いてあるから、又いっちょ美しくなる為に、一切れ食べようかち云うてお粗末にならん様にする訳で御座います。けれどもですこれはお互い、本当にその私が皆さんにこうやって聞いて貰っとる御理解がです、本当に値打のあるとしてです、皆さんが値打を付けて下さるなら、是は頂かなければおられんのですけれども、昨夜から頂いとります様に、頂くのではなく聞くばかりではおかげにならん、と。 
 そこで私は矢張り本気でお互いが、本気で椛目の合言葉と云われております様に、限りなく美しくなろうや、と口では言うとるけれども、本当に心に美しゅうなろうと思ってるだろうか疑問が湧いて来る。ほんなこてあんた美しゅうなりたいと思うとるのち。一人一人に聞いて見たい気がする。是を食べれば強うなると云う様に、本気で心に力を頂きたい。本気で力を頂きたい心の健康を頂きたい。
 と本当に願ごうとるだろうか。口では願えよるけれども心からそう思うよるだろうか。本当に力を頂かなければ本気で限りなく美しくならせて頂くと云う事がです、私共の本当にそれを願いとして居るならばもちっとましな、いわゆる頂き方と云うものがでけなければならん。又それに対する頂き方がです、成程( ? )かも知れません。私の御理解は表現がまずい。お話が下手と、値打のあるそりゃそうです。
 神様から確かに頂いとる事を、又それに私の信心を語らして頂くので御座いますから、私はそれを確信致します。値打のあると云う事は、久保山先生が昨日一昨日でしたか言うて居られます様に、もう沢山な御理解集が、高橋さんがお供えなさってそれを四冊づつですか、ずぅっと治める箱をですかね。飾られる綺麗なあれがお供えして御座いますもん。それが沢山お供えしてあったのが。
 ワアーもうこれだけもせやんなら、これまだ私が死ぬまで掛ったっちゃこしこ書かんならんとやろち言い御座ったつが、もうなくなったちと、言うておられます。けれども、是がいよいよ世に出る時には大した事でしょうと、云う様に値打を感じておられるから、毎日あの事に取り組んで居られるのですよ。けれども私共がです、毎日それこそ朝晩に頂いとりますもんですから、それを頂かずに聞き流しておる。
 それを頂かずに血に肉にしきらんでおる。いや値打を知らんで居る。何故値打が分からんかと云うと、自分が一辺食べてみて美しゅうなって、それで美しゅうなると云う事ですか、力を受けて行かんから値打が分からんのである。昨日も私新聞見せて頂きよりましたら、大きく大丸デパートなんかお酒売り場の広告が出とりました。超特級菊正宗の広告です。あれは金たる一樽が二千五百円するですね。
 昨日見てから驚きました。だから内も御大祭の時には一万円がたのっとるわけです。四つのっとります。これが今皆さんが頂いとられる御神酒さんなんです。超特級の菊正宗。家内に私ちょいと見てみれ、これがいっちょ二千五百円するぞ。一升が、さぁそれが二千五百円と思うたらあただにそれが有難くなった様な気がする。知らん間なほけんごとほけんごとしとるまいけれども、皆さんがお月次祭の時に頂いて帰られる。
 あんまり値段で頂くわけじゃないけれども、それに菊正宗でなからにゃならんと、云う神様の特別の思いと神様の特別の祈りが込められておると云う事。又本当に押し頂かなければ居られない事になって来るのです。人間ち云うものはそれが値打が分からなければ有難いと思わん。私は私の自分の説かせて頂いとる御理解に値打がある、値打があると云うのはおかしいですけれどもです、私自身確かに値打のあるものと思うとります。
 みなさんも矢張りそれを、値打のあるものだとして、体験から生み出されるところのおかげ。昨日夜の御祈念に、久留米の佐田さん達が、夫婦でお参りしておりました。先生今朝がたから、お夢とも何か分からんです、お声で頂いたそうですから、字でも頂いたそうですからお夢のごともありゃお声頂いた事もある訳です。それがたんたんを配れ、たんを配れと頂いとられます。
 そりけんなんちゃない、どういうこちゃろかと思うた所が、字でですね、肝と書いてあった。人間のこの肝というでしょうが、あの昔子供の時いよりました、生肝取りがおるけんであんまり遠かとこに遊びに行っちゃいけんち。生肝取りち云うのは生肝ち云うのは万病に効く薬と人間の生きとる肝と云うのはそういう意味でのあの肝なんです。肝を配れと仰った。肝ちゃなんじゃろうか、肝と云う字はたんと読みますよね。
 それこそ万病に効く。万病と云うか、万事どの様な事の中にでもおかげを頂く為にはこのたんがでけなければいけんです。たんを練らなければでけんです。云うならば信心度胸がでけなきゃでけんです。先生どう云う様な事でしょうかと言って、言うから私その事を申しました。丁度勝彦此処に居りましたから、この人がまあだ私が此処で十五年ですから十年前に致しました所で勝彦が ぐらいだったでしょうかね。
 何か朝の御祈念終らして頂いて私の心の中に、もうそれこそもりもりと湧いて来る様な何か力が頂くんです。その時私の願いがです、神様例えこの先どの様な事が起こってもです、それこそびくともする段じゃ御座いませんと云った様なものが湧いて来るんです。心の中からあれが肝です。例えば本当に踏ん切りを付けねばならん時、いよいよ度胸を据えなければならん時が、糞度胸じゃいかん。
 言わば信心で頂いとる所の肝なんです。肝を据えて度胸を据えなければでけん時があります。私の心の中に湧いて来るもの、それがです、例えどの様な事がこれから先起こって来ても神様もうびくともするだんじゃ御座いませんと云う様な気持ちで座らせて頂いて何か知らんそれがもう、形に現される位に心の中に湧いて来るんです。その様な何とはなしに、そしたらその奉仕中の朝方だったで御座いましょう。
 もう勝彦が必死で泣いておる。子供をひっ抱えてから家内が此処へやって参りました。見ましたら、もうそれこそ驚きなんですね。目が引っくり返って仕舞ってるんですから。そうでしょう、子供達が遊びよってから、何か竹のこんな棒を投げようとして此処に刺さったんですから、それをその裏の篠原さんがびっくりしてですね、御主人を呼びに行ってからこう引き抜いてある。それけん一緒に目の玉が出て来たのです。
 もうこんな風に、外へこう引っくり返っとりました。ところが私の心の中にですね、それこそ、もうびくともするだんじゃ、御座いませんと云うものが、あったと云う事です。もうひいっとこう泣いとるのに、今でもその、家内が申しますがですね。ようしお父さんが痛くない様にお願いするぞぉ、この一言でした。それから二階にそのまま、ひっ抱えてから休ませて頂きましたら、十分か十五分程しよったら、泣き止んで、したらそのまま眠ってるち云う。
 夕方迄には引っくり返っとったつがですね、中までこう治まったですよ。四、五人子供が遊んでおる。その親達が言わば、その怪我させた、子供達の親達が、みんな見舞いに見えましてから、それこそびっくりしておられました。こういう様なものを、医者にも掛けられんでと云うてから、びっくりしてられましたけれども、おかげ頂いてから、正眼を頂いております。
 ああ言う時にもう盲になったっちゃよか、そげな理屈じゃないです。もういわゆる肝です。私の心中に湧いて来るもの、そういう様な私の心の中にどの様な事が起こってもびくともするだんじゃ御座いませんと云った様なものがです、何時から何処からそれが入って来たか育って来たかと云う事なんです。神様の教えて下さる事をです、本気で行じておらなければそういうものは生まれて来ないです。本気で頂く気にならなければ。
 昨夜も婦人部会で御座いましたから御祈念の時間御祈念さして頂いとりました。それでもう、御祈念半ばに皆さんたってから二階で会合なさいますまで私もそう云うとりましたから、皆さん二階に上がっとられました。そしたら御祈念天津祝詞を一巻奏上さして頂きましたら、あの丁度その御祈念かかる前、昨日は久富さんが早う見えとりました。久富繁雄さんがそして御祈念にかかる前にお届けしておられた事がです。
 ハアー今晩の婦人部会の者に言わば伝えておくと云う御理解だった。それが私知らなかった。繁雄さんの事であろう、椛目の事であろう、こう思うておった。その昨日の朝のお知らせが。そしたら婦人部会の者に聞かせておくと云う事であるから、御祈念を途中で止めましてから。霊神様に只御挨拶だけしてから下りてきた。も二階に上がっておられたから一辺二階に、下に下りて頂いてからその事を伝えさせて頂いたんです。
 そして又改めて皆さんが行かれた後にお参りが又御座いましたから普通の様に御祈念を仕えさせて頂いて、そん時の御理解に皆さんに申しました事出御座います。信心を頂くと言う事はどう云う事か。皆さんがおかげ頂きたいおかげ頂きたいと云う事は、おかげを頂きたいならば信心を頂け。信心を頂くと云う事は御教えを頂くと云う事なんだ。皆さんそうなんですよ。
 それを皆さんは御教えを頂かずにです、御教えを聞いて居るんです。こっちから聞いてこっちから抜かしておる。しかも成程成程、いわゆるそれだけ私が一番先に申します様にです、値打を知らんからだと私は思うのです。これが本当に滋養食になるんだと、是は心の健全さを頂くのだ、心に力を頂き心が健全になれば自ずと肝は座って来る。自ずと度胸はでけて来る。
 いよいよの時、それこそびくともするだんじゃ御座いませんと云うものが、是に下から湧いて来る様に是が備わって来る。ですから本当に疑わしいと云う事は可笑しいですけれども、ほんなこて美しゅうなりたいと思うとるとの、限りなく美しゅうなりましょうが。椛目の合言葉、それを美しこたせんで汚い事ばぁかりしとる。その汚い心に取り組もうとしない。その汚いものを取り組もうともしない。
 本当に力を受けなきゃでけん、力を受けにゃでけんと思うとるとね。力を受けたいなら頂かにゃどうして力が頂ける筈がないじゃないか。只聞いておるだけでは、例えばどんなに栄養のあるものであっても見とるだけでは駄目だと。成程食べて見たばってん、美味しくなかった。美味しゅうないけれども、それこそ良薬口に苦しである。これを食べれば美しゅうなる、これを食べれば健康になると分かって居るならば。
 その値打を分かったなら頂かなければおられんのである。これは椛目のひとつお初穂の値段ばちっとばっかり上げたならよかろうち、千円の御神酒よりか二千五百円の御神酒の方が値打のあるごたるでしょうが。皆さんが百円お初穂しとるとを二百円づつばっかり値上げをしてご覧、ちっと値打が出て来るかも知れんから、ほんなこつですよ。私それを今日は感じました。 
 天理教の常岡さんがお話をされる時に、お話される時には、入場料百円づつかなんかそうですね。それに、例えば公会堂から、公会堂がいっぱいになると云うのですから、あの人の話の値打と云うものを皆んなが知っているから、百円出しても、言わば聞きに行くのですよ。生長の家の谷口正春さんがお話になる時には必ず、言わばその聴衆の券と云うものが、いわゆる前売券が出るそうです。
 これは少し椛目でも前売券でも売っとったらよかろうと、そりゃもうお話を聞くだけでこの金が要るとじゃからね、もう無駄にしたら馬鹿らしかと云う様な事になって来るのじゃなかろうか。そう云う事すりゃ感じますですね。聞こうと思や只にでん聞かれる、毎日聞かれる。本当に私が思いますのにですね、それが今申します様に聞いただけじゃない頂かして貰うと云う事。
 御教えを頂かずしてです、どげんお参りをしてもどんな例えば修行をしてもです、それは値打の無い修行になってしまうでしょう。折角のお参り折角のお供えならばです、本当に教えを頂かして貰うと云う信心にならせて貰うて、いわゆる肝を練って行かねばならんのであり度胸を作って行かねばならんのであり、何時どんな事があってもどげな事にでも動揺しないだけの力を頂きたい。
 本気で力を頂きたい、本気で美しゅうなりたいと、私共が本当に願っとるならばです、それを、これを頂けば、美しゅうなる事が分かって来ればです、頂かなければおられんのであり、成程これを頂きよったら美しゅうなれれる、自分で自分の心が拝みたいごとなれれる。成程是を頂けば力が付く。しかもどうにも仕方が無い程に、もりもりと下から湧いて来る様な力が湧いて来る。
 今迄出来なかった事が、平気で出来る様になる。踏ん切りが付かなかった事が、踏ん切りが付く様になる。御理解ちゃ御教えちゃ有難いもんである。値打のあるもんじゃあると云う事が分かって来る時に、愈々お粗末にせずに頂く事になるのじゃないかと云う風に思うです。昨夜婦人部会の方達に伝えておけと、久富繁雄さんが頂いて居られるのはです、自分は久富先生と二人で一生懸命この道の修繕をしておられる。
 例えばそんなら私それを思うたんです。私は道の上の道作りの御用に立たなきゃいけないとこう思うです。ですから久富さんと繁雄さんと、久富先生が何をしておられたかと云うとです、何か砂利のような土のようなものを、ずぅっと道に入れて行かれる所を頂かれたそうです。だから私が道を作って行くなら皆さんが後から砂利を入れて来る、と云う様なおかげを頂かせて貰わなければいけないと思う。
 そしたらその道作りから帰ったげなら招集令状が来とるそうです。それがあの久富久子奥さんに来とるそうです。丁度一年前でしたかね、久富勇さんが弟さんに当たられます。勇さんが招集令状の来たお知らせを頂かれた。一年前は主人に招集じゃないけれど、もうとてもいわゆる超非常時ですね、嫁さんにまで招集令状が来る様に切迫しとるのです。椛目の場合は非常時です。
 その非常時を只のほほんとしとってはです、それこそあの戦時中にです、そういう人を非国民と申しました。信心は頂いておっても非信者だと云われても仕方が無い。非会員だと云われても仕方が無い。三千円づつ会費納めりゃ会員のごと思うとる。そんなもんじゃない。そこに帰依して行かなければ、そしたらその久子さんだけではなくてから、村内の信心のない方達も四、五人他所の奥さん達来とったげな、そしたらその人達はてんでさめざめとほんに今頃招集どん来たならどうするじゃろかち泣きよんなさった。
 それで久子さんがそげんあぁた、来たもんばどうするの、あぁた行かじゃこてと言ってから励ましておられる所だったそうです。だから信心の無い者、信心の薄い者が聞いたならば。ほんに例えば椛目に招集が来たち言うならびっくりするだろうと思うですよ。たくさんのお金は持っていかんならん、さあ御用ち云うたら、毎日のごと出らにゃならんごと、ほんにこりゃ、こげな現在の様な生活事情の時に、どうするだろうかと云って泣きだそうごたるけれども。信心のある者は分かっておる者はです。
 神様の願いに応え奉る事を楽しみとして喜びとしてそれい応えて行く事の信心がでけるだろう。言わばでけん時でも日頃鍛えとる所の、言わば信心度胸はお父さん、あなたは道作り私も招集が来たと思うてら、おかげを頂かせて貰おうと云った様なものがです、椛目全体の椛目全部の上に、頂けなければいけない時期だと、今晩のこの御理解を後から来た人達も伝えといてくれと云う様な御理解だった。
 夕べ御理解半ばにしてから、その婦人部の方に頂かれた御理解でした。だから皆さん達銘々がですね、もう主人だけではない、自分にも赤紙が来とるごたる気持ちで私はおかげを頂かれるにしてもです、矢張り度胸がなからなければでけるこっちゃないでしょうが。これば外しよったらどげんなるじゃろかと思うでしょうもん。とても忙しかつのに出来るもんかと思う欲の方が先出るでしょうが。
 そこに限りなく美しゅうなりましょうや、限りなくひとつ力を頂ます、頂きたいと云う願いがあるならばです、そういう非常時の時こそ本気で信心の稽古と云うよりもです、もうぶっつけ本番と云った様な、信心がなされなければならないと云う事。分かっちゃおるけど踏ん切りがつかん。思いよるばってんでけん。それが日頃頂いとる値打のある、例えば御理解なら御理解、御教えなら御教えをです。
 値打のあるものにしきっとらんから、そして自分達がもう一遍思うて見なければならん。本当に限りなく美しゅうなろう、本当に美しゅうならないかん。美しゅならないかん。本気で美しゅうならせて頂こうという思いがまだまだ浅いものであると云う事。本気で力を頂きたい、と云よるけれどもどの位本気で力を頂きたい、と思うとるじゃろうかと云う事を、もういっぺん思うて見て、愈々それに取り組ませて貰い。愈々その椛目の言わば信心にです、値打を付けさせて頂くのは。
 皆さん一人々でなからなければならんと私は思うのです。どうぞひとつ緑のパンではないですけども、あれがでけたつならまあだ美味しかつかも知れんけれども、カビの生えとる事なっとるもんじゃけんガチガチなっとるもんじゃから、あれが普通ならば普通のパンならば恐らくお粗末じゃけんでと云うて捨てるに違いないけれどもそれが美容食と書いてある。これが特別の健康になるものが入ってる、と云う事が分かったもんだからしかも一切れが五十円もすると云う事が、分かったもんだから捨てるとは勿体ない。
 しかも美しゅうなるとなら、誰でん食べんのち云うごたる風で皆に勧めてから、まあ宣伝して食べさせて頂いとる様にですね、美しゅうなると、云う事が分かって力付く事が分かって椛目の御理解を頂いたち。ですから頂くだけではなく、聞くだけではなく本気で頂かせて貰う。そしてこの非常時にです、神様の願いに応え抜いて行かなければならん、と思うので御座います。
   どうぞ。